夫婦揃ってデザイナー チャールズ&レイ・イームズ夫妻とは?

イームズ夫妻は、スタイリッシュな家具や革新的な製品を数多くデザインしました。彼らのデザインは常に最先端を走っていたのです。
夫婦揃ってデザイナー チャールズ&レイ・イームズ夫妻とは?

最後の更新: 22 10月, 2020

20世紀を象徴する多くの家具や製品のデザインをした活動的な夫婦であるチャールズ&レイ・イームズ。創造性にあふれたイームズ夫妻は、近代のデザインや建築に大きく貢献しました。さらに、建築だけにとどまることなく、家具のデザインや舞台装置の仕掛け、そして映画においても活躍しました。

チャールズ・イームズ

チャールズ&レイ・イームズ夫妻

チャールズ・オーモンド・イームズは、1907年に生まれました。退学になるまでの1925年から1928年までは、セントルイス・ワシントン大学で建築について学びました。退学になったのは、建築家のフランク・ロイド・ライトとモダニズム建築に対して過度な主張をしたためだと言われています。

大学退学後、1929年にヨーロッパ旅行へ行き、そこでル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウスのモダニズム建築に触れます。

ヨーロッパから帰国後、1930年にチャールズ・グレイやウォルター・ポーリーと共にセントルイスに建築設計事務所を開設しました。しかし、アメリカ大恐慌により業績が悪化し、1934年には事務所を閉鎖することになります。

1935年、ロバート・ウォルシュと共に別の建築設計事務所を開設し、ハントリーにマイアー邸を共同設計しました。その後、フィンランドの建築家であるエリエル・サーリネンとその息子のエーロ・サーリネンから多くインスピレーション得て、後に共同設計することになります。

そして、エーロ・サーリネンと共同でニューヨーク近代美術館開催の「オーガニック家具デザイン」コンペに応募して受賞しました。彼らの作品は、アルヴァ・アールトの木製成型の技術を改良して作られたものです。

その後、チャールズはエリエル・サーリネンの招待によりミシガンに引越し、奨学生としてクランブルック美術学院に入学します。1939年にはチャールズ自身が教授になりました。

1940年、インダストリアルデザインの学科長になりました。1940年は、将来の妻であるレイ・カイザーに出会った年でもあるため、チャールズと近代デザインにとって重要な年となったのです。

レイ・イームズ

レイ・イームズ

レイ=バーニス・アレクサンドラ・カイザー・イームズは、1912年にカルフォルニア州のサクラメントにて生まれました。幼いときは都市を転々としていましたが、1933年にベネット女子大学を卒業します。

卒業後、ニューヨークのハンス・ホフマンの下で絵画について学び続けます。1936年には、アメリカの絵画グループを創立し、翌年にはマンハッタンのリバーサイド博物館で初めての展示会を開きました。

その後、ミシガンへと引越し、クランブルック美術学院に進学します。そこで、チャールズ・イームズやエーロ・サーリネンと出会い、一緒に働くようになり、ニューヨーク近代美術館のオーガニック家具デザインの展示のためのデザインを行いました。

長く使うことができるから、見た目が良いものよりもうまく機能するものがいい。

-レイ・イームズ-

イームズ夫妻

チャールズ&レイ・イームズ夫妻 自邸

1941年、2人はシカゴにて結婚しました。その後、一緒にデザインの道へと進むためにロサンゼルスに引越し、イームズ夫妻の成功への道が始まったのです。1940年後半、アーツ&アーキテクチャー誌の企画としてイームズ邸(ケース・スタディ・ハウスNo.8)を設計しました。後に、実際にこの家に住むようになります。

ロサンゼルスでは、チャールズはメディア企業のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社の下で舞台装置のデザイナーとして働いていました。そこで働いている間も夫妻はデザインを続け、木材を成型するための機械、カザム!マシンを作りました。1942年には、Plyformed Wood社を設立し、アメリカ海軍ために1日に5000本の添え木を生産しています。

しかし、経営が困難となり、後に会社を売却することになります。自身の会社でなくなった後も、チャールズは研究開発ダィレクターとして働きました。

受賞した家具

チャールズ&レイ・イームズ夫妻 作品の椅子

1946年、ニューヨーク近代美術館は、「チャールズ・イームズによる新しい家具」という展示館を開きました。この展示会では、1945~1946年にかけてイームズ夫妻によってデザインされた、有名なプライウッド・チェアが展示されました。

この椅子は低価格で高品質なデザインを提供することを目標としており、エヴァンス社によって製造されました。その後、ハーマンミラー社に引き継れ、1949年に商品化されました。

前年の1948年には、イームズ夫妻はニューヨーク近代美術館による低コスト家具デザイン国際コンペにて2回目の受賞を成し遂げます。夫妻が作ったのはファイバーガラスの椅子でした。このような形をしたプラスチック製の椅子は、史上初めて展示されました。

この椅子は、シンプルでありながら、革新的なコンセプトがあります。また豊富なバリエーションから選ぶことができます。まさに、20世紀のデザイン や建築に大きな影響を及ぼした家具となったのです。